4月15日。月曜日。時間は午後10時を過ぎた頃だろうか、おれは新宿へと向かう京王線の電車の中にいた。
世の中には「春が好き」という人が多いように思う。確かに冬は寒くて長いし、冬の寒さは人間の体に何かしらの健康被害を与える。長く厳しい冬の後にやってくる春の太陽は、どんな人にでも嬉しいものに違いない。春が好きだというのはごく当たり前の感覚だ。
おれだって基本的には変わらない。春の暖かい日差しは素晴らしく気持ちがいいと感じるし、花びらが舞い落ちる桜並木をバイクで走り抜けることも大好きだ。ただ、好き嫌いの話ではないのだ。おれはどうしても春が苦手なのだ。
よく「春はおかしな人が増える」と言うが、本当にそうなんだろうと思う。おれは春になると頭がボーっとして、気力が削がれ、何をやっても自分の能力を十分に発揮することができなくなってしまうのだ。今年の春もそうだった。おれはダメだった。いや、本当は春のせいなんかではなく、ただ自分がダメな人間であることを春のせいにしているだけなのかもしれない。いや、かもしれない、じゃない。春のせいにしているのだ。間違いない。
まぁ、実際そんなことはどっちだっていい。とにかく、おれは冴えていない。それは揺るぎない事実であり、おれは汚れた煙突を掃除するみたいに、頭の中にこびりついたススを払い落とさなければいけない。そのために必要なものは旅だ。旅に出るんだ。それがおれの知っている唯一の手段だ。午後11時半、新宿駅を出発したバスは首都高速への入口を上がっていった。そう、これはおれの小さくて陳腐な旅の話である。
おれの席は窓側の席だった。通路側には若いサラリーマン風の男が座っていた。サラリーマンというにはあまりにも頼りなさそうに見えるし、スーツを着ただけの学生だったのかもしれないが、やはりそんなことはどうだっていい。とにかく体が疲れていた。座席に用意されていた毛布を頭からかぶって、i-podで綾小路きみまろの漫談を聞いていると、いつの間にか眠りに落ちていた。おれの旅はいつも眠るところから始まる。
4月16日。午前6時半。目が覚めると、そこは京都だった。空はちょっと曇っていて、空気は少し肌寒い。1年ぶりの京都は、相変わらず見事なまでに京都だった。
七条のマクドナルドで朝食を食べながら、今日1日のスケジュールを考えることにした。全席禁煙というのが残念だが、普段あまりマクドナルドに行かないので、こんな早朝から朝マックをしている自分が少し楽しい。お寺の参拝時間というものは、大体が午前9時から午後5時まで(4時や4時半の所もある)と相場が決まっているのだが、限られた時間で少しでも多くの仏像を見たいおれにとって、予めスケジュールを考えておくことは大事だ。後から「あ!近くにこんな寺あったのか!時間内に行けたのに!」なんてことは思いたくないのである。
朝マックを済ませ、おかわりのコーヒーを飲みながら大体のスケジュールを決めたものの、動き出してみないことには時間配分がどうなるかなんてわからない。最初に向かう寺は決まっていたので、まずはそこを目指すべくマクドナルドを後にする。京阪線で七条から出町柳に向かい、そこから叡山鉄道に乗り換える。江ノ島電鉄が「えのでん」と呼ばれているように、叡山鉄道は「えいでん」と呼ばれているようだ。駅のポスターにそう書かかれてあっただけで、実際に浸透しているのかどうかは知らないが。
その「えいでん」に乗り換えて間もなく、おれは眠ってしまった。やはり狭いバスのシートでの睡眠では疲れは取れないか。駅員の「お客さん、終点ですよ!」という声で起こされる。おれが目を覚ましたのを確認した駅員は続けて言う。「お客さん、終点の鞍馬ですよ?どこで降りるご予定だったんですか?」「いえ、鞍馬で合ってます。降ります」おれはそう言って人の良さそうな眼鏡の駅員に軽く頭を下げ、電車を降りた。そう、本日1つめの寺は「鞍馬寺」である。

鞍馬天狗や、牛若丸(源義経の幼名)が修行をした場所として有名な鞍馬山。早速天狗がお出迎え。